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ジョグジャ滞在記 3 

7月16日
今日は日曜日だ。震災前なら、午前中にクラトンで舞踊公演と練習があった。以前は王宮の舞踊団が公演を行っていたが、現在では、複数の舞踊グループをが持ち回りで公演を行っている。入り口から入ってすぐ右側のスリマガンティという大きなプンドポで、ISI(芸術大学)、SMKI(芸術高校)、プジョクスマン舞踊団などが公演を行っている。奥のカサトリアンというプンドポでは、希望者が粛々と練習に励んでいる。

僕も以前は、ISIやプジョクスマンのメンバーとして踊ったり、練習に参加していた。踊り手は朝やってくると、王宮の裏口からそっと入って行く。この時、必ず門の外でバイクのエンジンを切らなければならない。そして、ものすごく暗い楽屋に入って着替える。小さな銅鑼(ブンデ)の音が鳴ると、踊り手はプンドポまで王宮の中庭の砂を踏みしめて、歩いていく。

しかし、震災で公演は中断したままだった。スリマガンティの横にあるもうひとつのトラジュマスというプンドポは全壊し、ウンパッという礎石を残し、跡形もなくきれいに片づけられている。

舞踊公演の1日も早い再開を願う。


この日は、いろんな人が朝から訪ねてくる日になった。
まず、最初はISIのシスワディ先生とジョハン先生だ。ふたりとももう長く仲良くさせてもらっている。マルガサリの中川真さんが立ち上げた「ガムランを救え!」のジョグジャ側のカウンターグループ「FORUM 7」のメンバーになっている。僕もこの「ガムランを救え!」のメンバーなので、こちらの件をいろいろと話し合った。

次は、マルガサリが今年招聘することになっているISIのラハルジョ先生が奥さんとやって来た。彼の家も大きな被害を受けたそうだ。彼の父スハルディさんは数年前に亡くなったが、ガムラン演奏家の大御所だった人だ。スハルディ先生の家も大きな被害を受けたそうだ。

そして次は、教育大学のサンティヨ先生と州の文化局のムスティコさんがやってきた。サンティヨ先生は、僕がずっと荒形を習っている先生だ。お父さんはナルトモ先生といって、もうそれはあこがれの荒型の大名人。彼ら二人は、日本で舞踊を通じて何かできることはないか、と相談にやってきたのだ。

夕方、ハメンク・ブウォノ10世の弟であるグスティ・ユダニングラッの邸宅にあるプンドポで行われていた舞踊の練習を見に行った。今年は、ジョグジャカルタ王宮創立250周年の年に当たっており、本来はいろんな行事が目白押しだったのだ。女性9人で踊るブドヨと舞踊劇ワヤン・ウォンが9月に催される予定になっていて、その第1回目の練習日だったのだ。
ジョグジャの男性舞踊家にとって、ワヤン・ウォンに出ることは最高の喜びである。僕自身も1998年に、今のスルタンの即位10周年を記念して行われたワヤン・ウォンに出演したのは、貴重な体験になっている。

夜、プジョクスマンで会議が開かれた。
プンドポの横に張られたモスグリーンの大きなテントが会場である。予定時刻の7時に行くと、プジョクスモ家のロモ・エプヌがソファーに座ってテレビを見ていた。テントではあるが、工夫してなかなか快適な空間になっている。半壊した家の部分にテレビや水屋を置き、テントには応接セットを並べている。やや遅れて他の出席者も到着した。

出席者は、プジョクスモ家からロモ・エプヌ(故プジョクスモの長男)、ロモ・デティ(故プジョクスモ夫人の弟)、舞踊団のメンバーでもあるがブ・ティア(故プジョクスモ夫人の弟の妻)、舞踊団からバンビン先生(ISIの先生でもある)、ジニーさん(韓国系元アメリカ人、チャックラワラ財団メンバー)、佐久間である。

僕以外のメンバーで、すでに2度の会議が開かれていた。
議題は、主に建物の再建に関してである。建物の再建には、ジョグジャ・ヘリテージ・ソサエティ(JHS)も関わっていた。彼らが出した再建策が想定外のものだった。
事業費7,000,000,000ルピア!70億ルピア=約1億円である。
これはプンドポやダレムだけでなく、プジョクスマンという集落の主要な部分を、創建当時のものに戻すれば、という試算に基づいている。プジョクスマンはプジョクスモ家の邸宅を中心とする城壁に囲まれた集落である。入り口に門があり城壁が周囲を囲んでいる。城壁内には、数10件、あるいはそれ以上の元家臣達の家がある。震災で、城壁の大半、家の一部が崩壊した。JHSの計画には、城壁の修復と城壁内のいくつかの建物の修復が含まれているという。
いずれにしても途方もない数字である。プジョクスマンのいろいろな建物に、JHSが調査した際に残した数字や記号の書いたビニールテープが貼ってあった。彼らは世界中の財団に、被災したジョグジャの歴史的建造物の再建資金を申請しているという。歴史的建造物の中でも、実際に伝統舞踊が教育されたり、公演されたりしているプジョクスマンは、とても価値があるものだと、JHSは評価しているそうだ。
しかし、実際にこの資金が調達され、再建が始まるのがいつになるのかは、全く予定が立っていない。

プジョクスマン舞踊団は、プジョクスモ夫人の弟であるロモ・サスが1962年に創立した。その際に、妹の夫であるロモ・デティも大いに手伝ったという。それ以降、プンドポで公演を行い、プリンギタン(母屋)に楽器や衣装を置き、ダレム(寝室)を事務所や楽屋として使ってきた。観光客の多かった時は、利益を分配し、赤字の時は双方で負担してきた。しかし、そこに契約書のようなものはなかった。

再建に伴って、JHSやプジョクスマン支援の会など外部の資金が使われることになる。この際に、なにがしかの約束事や契約書が必要となる。このことは、皆理解している。しかし、それをどういう手順で行い、どういう約束事を盛り込むか、と言うことに関して慎重な話し合いが行われているのだ。

この日の結論は、プンドポとプリンギタンを切り離して考える。つまり、プンドポだけを先に独立して修復する。事務所や倉庫は、敷地内の他の家を賃貸するなどして当てる。プリンギタンは、JHSとの作業とする。

ここまで話してブレイクになった。ロモ・デティの奥さんが作ったミー・ゴレンが出てきた。

敬意と慎みを持って、ねばりづよく、進める必要があるだろう。
ジャワ舞踊のように・・・

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ジャワ・ガムランについて

ジャワ・ガムランジャワ・ガムランとは、主に中部ジャワ地方で行われているスタイルのガムランを指すものである。.wikilis{font-size:10px;color:#666666;}Quotation:Wikipedia- Article- History License:GFDL

  • [2007/04/04 22:40]
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