ジョグジャ滞在記 2
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7月15日
朝から地震の激甚地区にあるインドネシア芸術大学(ISI)へ行ってきた。写真では見ていたが、かなりひどい。建っている校舎とつぶれた校舎の差が激しい。何人かの先生と会って話をした。
僕が通っていた舞踊学科の校舎を訪ねた。
ガジャマダ大学の調査団の判定によると、校舎はまだ使用可能とのこと。おそるおそる入ってみた、しかし、最上階の4階まではとても行く気にはなれない。ましてや、そこでゆったりとしたジャワ舞踊の授業ができるだろうか。後になって話したトゥティ先生も同じ感想だった。彼女によると、教官や学生も怖くて授業ができないので、もう一度再調査するようにお願いしているそうだ。
ISIからすぐ近くにあるハリヤント先生の家を訪ねた。彼の家の周りも95パーセントの家が全壊。彼の家は半壊。震災以降、子供たちのための活動を開始していた。子供たちと、被災した家財道具で音楽をしたり、農夫の笠に絵を描いたりしていた。僕が訪れた時は、ISIの学生が3人、音楽や絵の指導にきていた。100パーセントのボランティアである。
ハリヤントさんの奥さんと近所のおばさんたちが子供たちのために炊き出しをしていた。これは、ジョグジャカルタ・タイムズの廣田緑さんが費用を支援している。メニュウはソト・アヤム(鶏肉入りスープ)とテンペ・ゴレン(大豆の発酵食品の揚げ物)。悪いと思ったが、ごちそうになった。竹とテントシートで作った簡易台所で炊事をし、これまた廣田さんが寄付をしたモスグリーンのしっかりしたテントで活動したり、ご飯を食べたりしている。被災地で大変なんだけど、みんな明るい顔でがんばっている。
しかし、この100パーセントボランティア状態では、いつまでも続けることはできないだろう。何らかの支援や自立策が必要だと思う。
昼からは、ジョグジャ州の外にある激甚地区中部ジャワ州のクラテンへ向かった。クラテンのスロウォッ駅の近くには、ISIのトゥグ先生が住んでいる。ジョグジャから車で小1時間、村の家が全て全壊している。久々のトゥグ先生との再会。去年の夏2ヶ月間、先生は我が家に滞在した。コーヒーやジュースも飲まない、シンプルな先生の生活がここで営まれていたのだ。家族や親戚も皆近くに住んでいるので、支援してくれる人もいない。かなり悲惨な状態だ。震災後訪れた何人かの人から、トゥグ先生の落ち込み具合を聴いていたが、何とか気を取り直しているようだった。残った壁と竹を編んだもので壁を作り、裂いた竹で桟を作り、テントシートをかぶせて屋根を張って、仮住まいを作っていた。何度もため息を聞いた。
日の入りのアザーンが流れる中、先生の家を後にした。
路上のワルンでやや油の多いミー・ゴレン(焼きそば)を食べ、プジョクスマンのブ・ティア先生のお宅へ伺った。自宅は半壊と全壊の中間ぐらい。比較的被害の少ないテラスで話をした。始めてブ・ティア先生と会ったのも、このテラスだった。緑色のマーブル柄のタイルが足の裏に気持ちいい。震災の時の話から始まり、職場の芸術高校、クラトン(王宮)、再建へ向けての経過、プジョクスモ家の家族のことまで、いろいろと話を聞かせてもらった。僕からは、日本での活動に関しての説明をした。
この日は、最後にプジョクスマンの舞踊家ランテップさんと韓国系元アメリカ人の舞踊家ジニー・パークさんの家を訪ねた。彼らの家は被災地の近くだが、瓦が何枚か落ちた以外にほとんど被害は受けていない。プジョクスマンの再建策について、いろいろと意見を交換した。
プジョクスマンの場所が持つ、複合的意味や役割が再建する際に、話を少し複雑にしていた。ゆっくりともつれをほどきながら、丁寧に進めて行く必要があると感じた。
- [2006/07/26 16:08]
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